理論と感覚

ルアーなどの釣り道具を考えるとき、そこに自分なりの理論を入れ込むもの。しかし、その理論は、あくまでも人間側の理論。「想定」の枠は、いつまでたっても抜けられない。

計算されつくした結果に、一体、どこまでその正当性が見込めるのか。ただ、ひとつ言える事は、「自然相手に、理論だけで立ち向かえない」こと。

違う言い方をするならば、自然には、「完全」という姿は存在しない。それは、自然の中に、「完全な」円や直線が存在しないことからもわかる。自然とは、不完全さの上に、それぞれが相互に補完しあって成り立っている。

たとえば、不規則で不完全な波の波動は、また別の要素に影響を与え、様々な結果を出す。その不完全さを受け入れ、自らもその輪に入ることが釣りの面白さでもある。

理論とは、それだけでは成り立たない。あくまでも、行動を補完する要素でしかない。だから、道具にもメソッドにも、不完全さをあえて残すことが未知なる力を生む。不完全さは、それだけで武器になる。そう考えている。

だから、出来上がったものに対して、理詰めで理由付けをするようなことをしない。「なんだか判らないけど、いい感じだ」こうした感覚を大切にしたい。理論と感覚のバランス。そのバランス感覚を大切にしたいと思う。

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